今日も一日投資の聖杯を探しにネットの世界をさまよう。
投資の聖杯と検索するとそのものずばり真っ先に検索1位に燦然と輝いているものがある。SEO効果抜群である。なんせ自分のブログで紹介するのではなくアマゾンで出版されているから相乗効果抜群だろう。
レビューを見たら絶賛するものが多い。どうやらうねり取りやツナギ売買を基本とするようである。うねり取りと言えば林輝太郎氏。林輝太郎氏の著作を読んで私も信者になりかけたことがあったことを思い出す。
結論から言うと、うねり取りやツナギ売買は聖杯とは言えない。
なぜなら個人の技量が物凄く結果を左右するからである。
聖杯というとどんな相場でも100%勝ち続けることを言うようであるが、そんなものがあるわけがない。
そこで、聖杯を100%とは言わないまでも局地戦では負けてもトータルでは勝ち越すような手法と考えると話は違ってくる。
よく、投資に聖杯はないと言われるが半永久的にでなければ数年あるいは数十年と勝ち続ける(年間トータルで勝つ)ような手法は結構多いのではないかと思う。
例えばバフェット氏も言っていたようにS&P500を買って寝ておけば少なくともこの10何年と年率6%前後はとれていたはずだし、今現在使えるのかは知らないがかのBNF氏がやっていたような手法などであるが、仮に勝率が5割だとしても年間リターンが30%になるとしてもあまり魅力を感じないのかもしれない。極論すれば元本保証で年利30%のファンドに投資するような人はそもそも相場なんて張らないだろう。
しかし、その手法が誰がやってもそういうリターンになるとしたらどうだろうか。
とは言え、なんでもそうだが結局言うは易しで実際自分の金を賭けてやると話は別。
ちょっとでも下がればあたふたし、ちょっとでも含み益が出れば利益確定したくなる。
コロナショックでS&P500を持ち続けた人がどれくらいいるのだろうか。
そこでうねり取やツナギ売買の出番となるが、結局これも個人個人のメンタルや技量に依存する。
林輝太郎氏の書籍も読んだ後はこれで俺も儲かる!と思わされるのだが、ちょっとシミュレーションしてみると言うほど簡単ではない事がすぐに分かる。
これはうねり取やツナギ売買では儲からないと言っているのではなく実践するのはかなり難しいという話である。また、根底にある相場の見方はかなり目からうろこ的なものであり物凄く勉強になるので、もしこの投資の聖杯に同様な事が書いてあれば確かに絶賛レビューが多くなるのも頷ける。
もしかするとその難しいうねり取やツナギ売買が簡単にできるようになる事が書いてあるかもしれない。。。
しかし、突き詰めて考えると聖杯がどんなものであろうが自分が儲かればそれでいいのであって別に誰かに儲けさせるために一般化する必要もない。
従って難しいうねり取りであってもそれが自分にとっての聖杯となる人もいるかもしれないしそれでいい。
当該書籍を読んで役に立ったという人がいる一方で冗長すぎる、同じことが何回も書いてあるとこきおろす人もいる。
これは林輝太郎氏の著作のレビューにも似たようなことが書いてあったことを思い出す。そういう意味ではまさに人によってとらえ方が全然ちがうのだろう。
人によってはゴミに見え、ある人には宝のように見える。それが聖杯なのかもしれない。
多くの人は勝てる選択でも勝てないのです
この指摘はまさに問題の本質ではないだろうか。仮に本当に聖杯があるとしてその手法が無料にしろ有料にしろ公開されているとしてまず実行する人がどれくらいいるだろうか?そしていざやってみてもルール通りにやらなかったりすれば儲けるものも儲けられない。トレーディングではよく言われるルール通りにやれ、というのは逆に言えばルール通りにやらない人が多い事の裏返しでもあるだろう。
とは言え、そのやっている手法がそもそも儲からない手法だったりすれば意味がないわけで、そういう意味では聖杯というものとそれを扱う人は別個に論ずるべきである。
聖杯があったとしてもどうせあなたは使いこなせないからと言って、聖杯があっても意味がないとはならない。
そして冒頭の投資の聖杯に戻るわけである。人によっては聖杯に見えたとして果たしてそれが聖杯と言えるかと言われるとやはり聖杯ではないだろう。
うねり取りやツナギ売買はまず基本的な考え方があり、そこに技術がのっかっている。技術が磨かれなければそれは実戦で成功しない。林輝太郎氏の著作を読むと技術を磨くことがやはり必要だと分かる。
問題はこの技術論であるが、実はこの部分が私の読んだ本の中ではかなりあいまいな印象を持った。要するに実戦で練習しながら会得していくわけである。
そもそもある株を買っていくら上昇したら、あるいはチャートがどうなればそこでツナギ売りをするとか具体性がない。
もっともこのうねり取りやツナギ売買の考え方は相場を見る目を根底から覆すくらいのインパクトがある。少なくとも私はそう感じたわけである。そういう意味ではある意味の聖杯と言ってもいいのかもしれない。
投資の聖杯の著者は他にも著作がありレビューにはこの手法は基本的に相場が上がっている上昇相場でなければ機能しないのではないかという指摘があった。
確かに一見するとそういう風な見方もできる。もっと言えば上がったら一旦さがらないと利益は増加しない。
とは言え、ここで林輝太郎氏は商品相場と株式相場の構造的な違いを看破するのである。
林輝太郎氏の著作を読むといい意味での割り切り、100発100中を目指さない潔さ、むしろ聖杯を目指さない事を推奨しているようにも見える。いや、恐らくそういう事なのだと思う。
100%の勝率を目指さないのがむしろ聖杯なのかもしれない。